検索・SNSと精神の健康

検索サイトやSNSは,情報の砂糖菓子である。ある程度の依存性と有害性をかならず有しており;砂糖菓子が身体の健康を害するのと同様に,検索サイトは精神の健康を害する。

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インターネットをなくすことはできない

インターネットは現代の生活になくてはならないものであり,アクセスを放棄することは現実的ではない。

私の通っている通信制高校は,インターネットを最大限活用した教育制度を採用しており ーこれだけで学校名がある程度推測できててしまうー そのため居住地を問わず学業に取り組め,人間関係を形成できる。

インターネットにアクセスするな,ということは,家から一歩も出るな,ということに等しい。外出自粛が叫ばれた2020年5月にも,”必要緊急” の用件のため外出せねばならないことは少なくなかったはずである。

私の経験

悲観的思考

もう私は将来,仕事にありつけないだろう。秋のスクーリング(通信制課程に於いて,登校して対面授業を受けること)でいじめを受けるのではないか。コロナウイルスの感染拡大に青春を奪われた。私は孤独だ。みんな私を殺したがっているー。

上記は私がここ数日考えていたことであり,5月以前にに考えていたことでもある。

むろん,人間は苦痛や恐怖,怒りといったものを感じることが必要である。さもなくば生命や尊厳を守ることはできないだろう。
しかしその必須機能があまりにも敏感になりすぎると,かえって重要なものを守れなくなる。
たとえば警察が,少しでも怪しい言動をした人を全員逮捕して尋問していたらどうだろうか。本当に重大な事件が起きたときに,リソースが足りずに対応できないだろう。

インターネット検索の過剰使用は,異常なまでの悲観的思考を招く。不安で仕方がない。しかし時は流れていく。学業や趣味に充分な時間をついやせないまま,高校生の期間は残り1年と8ヶ月となった。なんとかしないといけないー。

デジタルミニマリスト

そんなとき近所の書店で,”デジタル・ミニマリスト スマホに支配されない生き方” という本に出会った。むろん衝動買いしたことはいうまでもない。

その本には,SNSが人々を依存させて精神の健康をむしばんでいる,と書いてあった。

そして,その本で “デジタル片づけ” として紹介されていたことを試してみた。しばらくの間,”テクノロジー” ーすなわちインターネット機器などー の使用を必要なものに限る,という取り組みであった。”デジタル片づけ” は本来30日間で,私は6月29日まで取り組むことを予定していた。

私は,学業,人間関係,および創作に必要ない機器使用をやめた。日に何時間も見ていた動画サイトはいっさいアクセスせず,検索は絶対に必要なものに限った。日百回ほど検索していたのが,多くても数回以下になった。

すると,学業や創作活動に費やす時間が以前の2倍から4倍に増えた。社会への絶望も,うそのように消えた。

失敗

そして数日前,検索の誘惑に負けてしまい,私はいろいろなこと ー魅力的な文房具や情報管理装置についてー を検索した。動画サイトにも再び手を出してしまった。日記を読み返したら,検索をやめられたのがわずか10日間程度であったことがわかった。

その結果は軽く看過できるものではなかった。貴重な時間が4時間以上も検索に費やされたうえ,思考がひどく悲観的になった。検索の魔の手に再び墜ちる前は,文筆業で生きていこう,とか,この大学や専門学校もいいな,などど思っていた。
だが,検索を始めたあとは,人生の全てが無意味に感じるようになった。苛立ちもはげしくなった。日記を書いているときに;以前知人から悪筆を指摘されたことを何のきっかけもなく思い出し,当日の記述の上に乱暴に取消線を引いた。

対処

これではいけない。私は再びネット検索を断たなければならなかった。

コンピュータは常に検索の誘惑と隣り合わせだ。集中して執筆に取り組めるよう,フリマサイトで執筆専用機 ”ポメラ” を購入した。

そして,スマートフォンをポーチではなくかばんの中に移動させた。充電ケーブルや電子辞書といった電子関係品が詰め込まれている区画にスマートフォンを加え,そしてポーチの中にはポメラを入れた。

スマホを持たずに外出する

さて,私は今日,スマートフォンを持たずに外出した。位置記録機能(自分の生活を記録するため)や接触確認アプリなど,バックグラウンドで動作する機能が多少惜しかった。位置記録なら手書きでメモをとればよい話で,不具合まみれの接触確認アプリは一日くらいオフにしても大差ないだろうと考えた。

授業動画を視聴しなければならないので,モバイルPCを持って行った。これは契約している有料Wi-Fiにつながなければインターネットを使えないので,移動中などに検索してしまう心配が少ない。

そして美術館やカフェに立寄り,座れる場所ではポメラを起動してブログや小説を執筆した。

幼い頃から歩き慣れた街ということもあって,不便さはまったく感じなかった。不満だらけで嫌いだったこの街が好きになった。