生きづらい社会に対する私見

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日本は生きやすいのか生きにくいのか

日本はなんか生きづらい。よくわからないけれどとにかく息苦しい。

そういった記事を報道やインターネットで目にすることが多い。そして私も,うまく説明できないけれどなんか生きづらいと感じている。

日本は “恵まれた” 国だ

日本はある視点から見れば,きわめて生きやすい。CoVID-19の蔓延は世界でも最低ライン,新幹線や自動車など,工業は最高水準である。義務教育の就学率はほぼ100%。この視点では,不満の余地はあるまい。

自殺者が多い

しかし, 日本では若者の死因第一位が自殺である。(諸外国の若者は事故に遭うらしい)
2020年は芸能人の自殺が相次いだ。自ら命を絶たないまでも, いじめに遭ったり, さまざまな生きづらさを抱える人は世代問わず多いだろう。

なぜうまく説明できないのか

生きづらさを詳細に説明することが難しい理由は,語彙の不足と意味の削減にある。

ニュースピーク

ジョージ・オーウェル氏著 “1984年” という小説には,”ニュースピーク” という言語が登場する。これは,英語の変種であり,作中の寡頭政権にとって都合の悪い語句や意味が消されている。

現在の日本語もこれに近いだろう。 “幸せ” や “愛情” といった単語は,いまや各,”身体が直接危険にさらされず,食料を始めとしたモノが豊富にあること。”,”子供や孫に食べ物を食べさせたり,モノを与えること。” のみを意味している。

そのうちに,”友情” や “学問”,”宗教”,”慈悲” という単語は過去のものとなるだろう。古語辞典に載ればいいが,未来の編集者がどのように判断するだろうか。

そして,科学的に当然の現象 ―物が下に落ちるなど― ,および科学による成果の総称は,ニュースピークで “イングソック” に置き換えられていることと同じく,いまや “ふつうのこと” に置き換えられた。
“イングソック” とは作中の寡頭政治イデオロギーであり,それは科学的当然の事実と同じ語句で表されることになる。すなわち,監視社会は誤りだというためには,重力も嘘だといわなければならないのだ。

定義

ニュースピークの恐ろしさを説明したところで,豊かさを定義しよう。

物質的

道具や環境などの質や量を意味する。すなわち,高品質な万年筆や高速の新幹線などが典型的な例だろう。

それらに加え,知識や技能の獲得しやすさをも意味する。本やインターネットから多様な知識を得て自らのものにできるという環境がその例だ。

精神的

陳腐な道徳論,あるいは何十年も前に読み飽きた童話のようであるが,”他人を思いやる” こと,”他人の快楽や困苦を理解し,自己のものとすること” を意味する。

生きづらさという対価

日本は依然として高い経済水準を維持している。その “維持費” はかなり高くつきそうだが,それは金銭あるいは労働とは限らないと私は思う。

豊かさの変換

物質的な豊かさ,精神的な豊かさは,ある程度変換可能であると私は考えている。友人とコーヒーを飲むにも金はかかる。経済的に困窮していれば,他者を助ける余裕すらない。

精神から物質へ

では,現在の物質的豊かさを維持するために我々は何を対価としているか。それは労働に加えて,精神的豊かさではないだろうか。
言い換えると,生きづらさを味わう対価として物質的豊かさを維持しているのだ。

冷たい社会

日本は冷たい社会であると批判されることは多い。
自己責任論がどうだとか,他人を助けたがらないとか,甘えを徹底して糾弾するとか。

しかしそれらは物質的豊かさを維持するために必要不可欠なことではないだろうか。すべてを個人の責任に帰して甘えを許さないことが,物質的豊かさを維持してきたとはいえないだろうか。

精神は無視されねばならない

では,なにゆえ我々は,精神的豊かさをすべて売り払ってまで,物質的豊かさを求め,そしてそれを維持しているのだろうか。
私は,”精神は無視されねばならない” という思想に起因すると考える。

空想上の臓器

嫌なことがあったので,あるいはどうしても体が動かないので,会社や学校を休む―

これは一般的に,”怠けたいゆえに,精神という空想上の臓器をでっちあげて,その痛みを訴える” ことであるとみなされる。

たしかに,怠業の口実として “精神の異常” をでっちあげることは便利である。心臓はメスで胸を開けば現れるが,精神はどこを切っても見ることはできない。本人の主張のほかなにもそれを裏付けることはできないだろう。

だが,本当にそれがでっちあげといえるのだろうか。そして人間はそこまで怠惰な存在なのだろうか?

小説は不要か?

私は今でこそ趣味で小説を書いているが, 数年前は小説に価値はないと考えていた。空想のできごとを難しい言葉を並べて書いたものが, なぜ何万部も印刷されて書店に並ぶのか, 不思議で仕方がなかった。それよりも実用書や解説書, 学術書などを売るべきだと思っていた。

“心に残る” 本

私は頻繁に本を読むが,過去2年間に読んだことのある本のうち,最も “心に残った” ものの上位は小説が占める。

一方で,”生活や学業に役立った” 本は,WordPressの解説書や,各教科の教科書だ。WordPressの解説書は,このブログを作るにあたってきわめて有用であったが,心に残ることはなかった。

精神が存在する限り必要

精神が存在する限り,精神の栄養のひとつとして小説が必要であると私は考える。

私は物質的豊かさより生きやすさを選びたい

結論として,私は物質的豊かさよりも,生きやすさを選びたい。無論,どれだけの貧困にも耐えるという意味ではない。

最低限の生活を送れて,あわよくば雑誌を読んだり,インターネットを利用できればよい。物質的にはそれで満足する。

そして,精神的な豊かさを追求したい。小説を読んだり,友人とコーヒーを飲んだりしたい。