現在の学校教育制度からいじめをなくすことはできない

現在の学校教育制度で,現状を維持したままいじめを発生させないようにする。これは,”トイレや三角コーナーから菌をなくす” といっているに等しい。

ここでいう “現在の学校教育制度” とは,小中学校および全日制高校を意味する。

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善悪は一つではない

我々人類は共通した “善い-悪い” のものさしを持ってはいない。

たとえば日本では,高校以下の多くの学校で化粧は禁じられている,あるいは望ましからざることであると規定されている。しかしながら,一般社会では女性は化粧をしなければならないという風潮が存在する。そして最近では両性平等の観点から問題も指摘されている。

もっと過激な例えをあげよう;

1995年3月20日,東京都に於いてオウム真理教の信者らが,計5編成の地下鉄車内で猛毒のサリンを散布した。無辜の市民らが命を奪われ,あるいは重傷を負わされ,今もなお重い後遺症に苦しめられている。

2001年9月11日,アメリカ合衆国に於いてイスラム過激派が4機の民間航空機をハイジャックし,国際貿易センタービルや国防総省のペンタゴンに突撃。人命や財産に大きな被害を与えた。
ユナイテッド航空93便では乗客が突入を抑止したものの,やはりこれも墜落して乗員乗客の全員が死亡した。

これらの事件は,市民社会からみれば “きわめて悪い” ことである。しかし,オウム真理教の信者らも,イスラム過激派の戦闘員らも,”悪いと思いつつ” 犯行に及んだわけではないだろう。

オウム真理教では,教理に従った殺人は “ポア” と名付けられ正当化されていた。これ以上生かしておくと悪業を積んでしまう。だからそれを阻止し,より高次の世界に転生させるための慈悲ある行動としている。

イスラム原理主義は,イスラムの思想に則った世界を,たとえ武力によってでも達成しようとしている。イスラムでは教徒以外がアラビア半島に常駐することは禁じられており,アメリカ軍の駐留に対する怒りを原因としている。

いじめに関しても同じことがいえる。

いじめを “正当化”

私は,”いじめを受けている側が苦しんでいるのだから,その苦しみを取り除く(カウンセリング,転校,加害者への指導など)ことによって解決しよう” という考えに異論を唱えたい。なぜならば,次から次へといじめを解決しなければとても追いつかず,しかも一旦いじめを受けなければ,対処されないからである。

些細な逸脱(市民社会では逸脱とさえされない!)をするというだけで異常な不快感を感じ,その人をいじめたくなってしまうというきわめて異常なディストピア(暗黒卿)は,本来の教育とは程遠いのだ。


みんなから浮いている,あるいは生意気であるいったことは,学校空間に於いては市民社会でいうところの内乱罪に等しい罪悪とされる。

市民社会では気づきもされないような些細な差異や,あるいは生意気さといったものは,学校空間では集団に対する侮辱となる。そして集団は,市民社会でいうところの憲法や民主主義,北朝鮮でいうところの金正恩氏,”1984年” のオセアニアでいうところのビッグブラザーにあたる絶対的正義とされる。

しかも ”あいつは生意気だから退学処分にしてください” と学級内連名で校長に嘆願書を提出したところで,まともに聞き入れてもらえないことは火を見るより明らかである ―そう生徒は思っているのだ。

だから,これくらいの “いじめ” はやむを得ないことであり,非難されるべきではない― 生徒らがそのように考えてしまうのも無理はあるまい。

教育制度の何が問題か

機能過多

現在の学校は,多くの機能を詰め込みすぎている;

  • 教育施設
    • 文系
    • 理系
    • 技術系
    • 道徳系(いわゆる道徳科のみならず,折々の道徳的指導など)
    • 政治系(生徒会など)
  • 役所(各種許可申請,登録など)
  • 警察(違反行為の取締り,生活指導)
  • 裁判所
    • 刑事(校則,法律違反,いじめ,非行など)
    • 民事(生徒同士のもめごと)
  • 議会(校則の制定)
  • 若者支援・育成機関(優秀な人材の発見,支援,応援など)
  • 資格認定機関(高卒認定など)
  • 帰属先(仲間意識,帰属意識などを置く)
  • 宗教団体(学校独自の思想や道徳観)
  • ITサポートセンター(オンライン学習などに於ける操作解説)
  • 医療機関(保健室,健康診断)
  • 相談窓口(進路,人間関係など)
  • マスメディア(政府からの伝達事項,世間のニュース,気象警報など。)
  • ハローワーク(就職斡旋あっせん
  • 進学斡旋機関
  • スポーツクラブ(運動部)
  • 文化クラブ(文化部)
  • 代理店
    • 生徒用物品の販売
    • (高校など)食品の販売
    • 保険など
  • 食堂(小中学校の給食)
  • 旅行会社
  • 出版社・新聞社(生徒会誌や学級通信などの発行)
  • 金融機関
  • 交流スペース
  • 図書館
  • 文化会館

学校がこれだけの多機能を抱えてしまうと,さまざまな問題が起きる。

1:瑕疵かし が伝播する

ある機能において生じたもめごとや瑕疵が,他の機能を使用するにあたって障害となる。

たとえば;

  • 勉強ができないことが人間関係に悪影響を及ぼす;すなわち,同級生からばかにされる。
  • 逆に,人間関係が陰湿であると,妬まれないようにあえて勉強をしない(あるいはその効果を表さない)。
  • 部員個人の非行が原因で,部活動が停止される。
  • 不登校生徒が進路の相談をするために登校すると,同級生から嫌がらせを受ける。

2:個々の機能がおろそかになる。

十徳ナイフの各機能は,それに特化した道具より使いづらい。そのように,学校の各種機能は専門の機関より劣っている。

保健室では手術ができない。それどころか,処方箋すら発行された話を聞いたことがない;街の医院では手術こそできないものの,医療の専門家が判断して,処方箋を発行してくれる。

私が以前通っていた全日制高校の図書館蔵書数は約1万部(校内掲示の文面を記憶していた。学校や県教委,日本図書館協会のウェブサイトを見たが,正確な数字は発見できなかった。);私の住んでいる市の市立図書館は,一般書だけでも約55万部を所蔵している(市ウェブサイトより)。

教職員が気象警報を伝えるには,帰りの会やホームルームまで待たなければならない;防災行政無線はすぐに放送され,携帯電話の緊急速報メールはすぐに受信できる。

校則違反や非行に教職員が対処したとして,いくら厳しくても退学や出席停止以上の処分はできない;裁判所は犯人の自由を奪って刑務所に収容でき,必要とあらば殺してしまう(死刑)ことさえできる。


3:教員の負担が異常なほど重い。

これほどまでに学校の機能が過多になると,その職員である教員の負担が異常に重くなる。扱わねばならない案件がとても多いのだ。だいたい想像はできる;

保護者向けの通信を書いているところに,同僚がやってきて,暴力を振るう生徒を止めさせてくれと言われる。対処した直後に別の生徒が,数学の問題でわからないところがあるから教えてほしいと言ってきた。別の生徒から転校したいとの申し出があり,そのとき机上の電話が鳴り保護者から怒声が―

教員兼行政官兼裁判官兼スポーツチーム監督兼… これだけの職務を同時に抱えると,本来の仕事である教育に労力や時間をあてられなくなる。

同学年,同学力の人としか関わらない

中学校までは学力や関心分野もさまざまな同級生に囲まれて過ごすことができる(公立の場合)。しかしそれでも同じ学級には同学年生しかいない。

全日制高校に進むと,同級生の学力もほぼ同じになる。これはよいことにみえて,たいへん恐ろしいことである。なぜならば,学力値と学校のアイデンティティが結びつき,”上を妬み,下を蔑む” ようになるからである。

教育を変えるべき理由

私が上記を申し上げてもなお,教育を変えられない,という方もいらっしゃるだろう。だからそのために反論を用意した。

“伝統は変えられない”

私は,日本語が漢字まみれで難しいからフランス語にしろ,と言っているわけではない。私はたしかに漢字を書くことが苦手ではあるが,電子辞書などの道具を使えば解決できることだ。そして言語は重要な伝統であって,日本語は人間の尊厳を特段侵害するものではない。

一方で現在の教育制度は,日本語ほど伝統的でもなく,そして無害でもない。現に人権を侵害し,先進国日本と切り離して,内部に全体主義ディストピア国家を形成しているのだから。

学校教育は伝統だから,というのであれば,切腹も維持すべき伝統なのだろうか。

“市民社会の機能を使わせるのが怖い”

図書館,病院,警察,小売店といった,市民社会の機能を,保護すべき生徒らに開放できない―

このように考える教育者も多いだろう。しかしそれは,”暴言を吐いたり,不要な情報を仕入れたりすることが怖いから,言葉を教えないでおこう” と言っているに等しい。

社会に出て学校の保護を離れたときには,これらを使わざるを得ないからだ。


そして,”店で騒いだり,図書館の本を破いたりして社会に迷惑をかけてしまうかもしれない” という意見には,こう反論しよう;

“先生がなんとかしてくれる” から,迷惑行動を躊躇ちゅうちょ しないのだ。

もし騒いだり本を破く生徒がいるならば,それは学校が過保護であることが原因だ。学校図書館の本を破いても校内の処分で済むなら,市立図書館より気軽に破ける。

加えて,生徒の非行や問題行動を学校ではなく,警察に通報するよう市民らに知らせればよい。市立図書館の本を破けば市から賠償を請求される。それでよいのだ。


私は,迷惑行動あるいは危険行為は年齢に起因しないと確信している。

第二次世界大戦中,迫害を受けたユダヤ人少女が,隠れ家で日記を書いた。戦後出版され人気を博した。”アンネの日記” である。

アンネ・フランクは西暦1942年,13歳の誕生日から日記を書き始めた。同年に隠れ家に潜伏した。

彼女は理不尽な差別のため潜行を余儀なくされ,秘密警察や爆弾の脅威がせまり,家から一歩も出られないかった。この精神的負荷が過多となる環境にもかかわらず,日常生活や自己の心情を明瞭かつ冷静に記録しつづけたのだ。

もし10代の若者がそれほどまでに危なっかしい存在なら,アンネ・フランクは後先のことを考えずに外部に気づかれ,潜行開始から数ヶ月もたたないうちに,隠れ家ごと秘密警察の手に渡っていただろう。

女性だから安心,などというならば,同居人ペーターについての記述を読むといい。彼は潜伏開始当時,16歳であった。日記を読むかぎり彼が同居人らを危険にさらしたことはなかった。


“嫌いな人とも関わる必要がある”

学校に於いて,”嫌いな人と関わる” というのは,”敵のスパイと同じ釜の飯を食べる(いじめる側)” あるいは “ストーカーと迷惑電話,そして日々送りつけられるカミソリの刃を甘んじて受ける(いじめられる側)” ということに等しい。では社会に出たときに,敵のスパイやカミソリ刃に耐える技能は必要なのだろうか。

馬が合わない人と一緒に働くことは避けられないし,たとえ理不尽な迷惑客が来店しても逃げることはできない。

これを理由に学校教育を変えないというのならば,強制性交等罪を廃止すべきといっているに等しい。

迷惑客に頭を下げて謝る ―あるいは毅然と追い返す― 必要はあっても,同衾どうきん する必要はない。


“社会は甘くない”

これはよく聞く文句である。たしかにこの世界は楽園ではないが,それを理由に地獄にしてはいけないと私は思う。

そもそも,楽園と地獄の2段階ではないのだ。”1984年” のニュースピークであっても,

  • Doubleplusgood
  • Plusgood
  • Good
  • (言及せず)
  • Ungood
  • Plusungood
  • Doubleplusungood

の7段階で表現することができる。ニュースピークではなく現代英語あるいは日本語を使えば,さらに多様な表現が可能なはずだ。


そして本当にこの社会が殺伐さつばつ とした競争場であれば,なぜ生きるのかと問わずにはいられない。

社会は学校のように甘くはない,とはよく聞くが,現在の教育制度よりも苦痛に満ちたディストピアなど “1984年” に登場する101号室くらいなものだろう。

もし,”犯罪を犯したら警察に捕まる”,”他の市民との間でもめごとが起きたら,最悪の場合法廷で争うことになる” ということを “甘くない” というであれば,それは誤解を招く表現だ。”過保護でない” というべきなのだ。


そして,辛いなら耐え続けるのではなく,”甘味料をぶちまける” のが国際的標準なのではないかと私は思う。だからこそあちこちで人権保護や差別解消を求めて政治的な運動が起きているのだ。

そしてときには過激なものとなり,政府や他の人々と対立することもまれではないだろう。


“もっと苦しんでいる人がいる”

苦痛は比較可能か,という問題にぶち当たる。時間や気圧のようには計測できないのだが,ここでは強引に比較可能とみなして論を進める。

さて,これでは,”現時点で人類最大の苦痛にまで,甘んじて耐えなければならない” ということになってしまう。では2021年4月時点に生息する全てのホモ・サピエンスのうち,もっとも苦しんでいるのは誰だろうか?その人の苦痛レベルは?

仮にその苦痛レベルをXとしよう。そして自分の苦痛レベルがX以下である限り,一言の不満を口にすることも許されないのだ。

そう考えると恐ろしくならないだろうか。もっとも苦しんでいる人の苦痛レベルを下げよう,とは考えないのか。


“教育が一時停止する”

教育を改革するリスクより,現状維持のリスクのほうが大きい。


教育を改革する場合,教育機能の一時停止は避けられない。

万年筆に入れるインクを変える場合,洗浄しなければならない。むろん洗浄中は万年筆を使用できない。
コンピュータも,OSアップデートの最中は使用できない。


現在の教育がいかに人間の尊厳をおびやかしているかを考えれば,数年くらい教育が停止したところで何が問題になろうか ―大人ではなく,子供や学生にとっての長いながい数年間である― 。